▲島原藩の侍 柴田丹兵衛さんのお墓
最初に訪れた町は感田(がんだ)です。遠賀川に架かる日の出大橋を渡り、踏み切りをこえてコンビニから右折すると肥前島原藩の侍・柴田丹兵衛さんのお墓があります。1773年8月、島原藩の一行は、参勤交代で江戸から郷里へと帰る途中に木屋瀬宿を歩いていました。しかし、折からの豪雨で遠賀川が増水し何日も橋を渡ることができません。渡れる橋を探そうと雨の中に駆け出した丹兵衛さんは、増水した川の深みに足をとられ亡くなったそうです。地元の人々は、この悲しい事故を悼んでお墓を建立しました。この土地に暮らす人々は、豊かな水の恩恵に与る反面、自然がもたらす災害によって大切に育てた農作物もダメにしてしまい、時に命をも奪うという脅威に何百年も苦しめられてきたそうです。自然と共存していくための苦悩が伺える史跡でした。
▲多賀神社(直方市大字直方)
城下町の面影を探して、JR直方駅から多賀公園の方をちょっと散策してみましょう。
江戸時代になって約100年間は、黒田藩の分藩・直方藩として城下町が形成されました。JR直方駅の近くにある多賀公園の周辺が長崎街道。多賀神社や蛭子神社・繭姫稲荷大神が点在しています。丹兵衛さんを偲んで「これから旅する人々の安全を祈ろう☆」と思いつき、黒田直方藩5万石の産土神として栄えた多賀神社を訪れました。桃子土鈴というかわいいお守りに旅の無事を願って、小竹へと先を急ぎましょう。
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